My Backbone 本と映画と音楽と 〜「小清水 志織」こと Yくんのリクエストに応えて〜 


  『けっぱり先生』(山口瞳 著。1972<昭和47>年 初版。新潮社 刊)


※このホームページの「脚下照顧」のコーナーから

「教育とは、結局は、このようなことではあるまいか。教育とは、教師が生徒の顔と名前をおぼえること

ではあるまいか。生徒に声をかけてやることではないか。生徒を知り、生徒の側に立ち、彼の名を呼んで

やることではあるまいか」。『けっぱり先生』(山口瞳 著)より。「けっぱり」は東北弁(主人公の猪股校長は

宮城県石巻市出身の設定)で、「頑張り」のこと。「けっぱれ」は「頑張れ」。「記憶(暗記)主義」や「点取り主義」

に対しては、無理に答を提示せずに、「学問の基礎には、そういう面もあるんだよ。たとえば文法さ。化学記号さ。

これがなければ前進できないからねえ」と書いているのもいいなぁ。「愛国心」や「立身出世主義」についても、

ちっとも決めつけてないし。この本に大きな影響を受けて今の自分があることを、うれしく確認できた。 2020.2.24


「これを書いているあいだ、私は、たえず、教育とは何かという問いを自分に浴びせかけていました。私の

結論は、文中にくどいほど書いておりますように、『情熱』と『公平』でした。それから、教育はイキモノだということ

です。そうして、むろん、それは人間の問題でありました。」(『けっぱり先生』<山口 瞳 著>の巻末「あとがき」

より)。「平等」でなく「公平」に注目。平等には「悪平等」があるからでは? 「能力に応じた」…というより「(能力の)

発達段階に応じた」公平で公正な教育が大事だと言っているのでは? 2020.2.25


2学期がスタートして3日目。担当する全部の「夏休み明け授業開き」を、一通り終えた。「名前を覚えて、名前を呼ぶ」

ことの大切さ(山口瞳の小説『けっぱり先生』より)を、改めて実感! やっぱり授業は、「生徒と先生のコラボレーション」。 

2020.9.3


※3年倫理の授業振り返り論述ウルトラ80名作・力作集から

「仁の成り立ち」 ( )内は授業担当者

先生が作った「教育は、『先仁後礼』」という言葉が良いなと思った。(なぜなら、)礼だけをただ教えられたとしても、仁が感じられ
なければ礼(エチケットやマナー、ルール)を守ろうとは思わないし、やろうとも思わないから。

授業担当者のコメント:ありがとうございます。以下は実話です。自習中にガムを噛んでいた生徒がいて、自習監督の私が、「そこの生徒! 
           ガムを口から出しなさい!」と厳しく叱ったら、無視されるだけでなく軽蔑の目でにらまれた。後日、その生徒の
           名前を覚えて、同じ様な状況で「〇〇君、自習も授業だし、自習中にガムを噛んでいるのはNGだよ」とおだやかに
           注意したら、素直にガムを口から出してくれた。「仁が先。礼は後」という考え方は、教育や学校だけではなくて、

                全てのコミュニケーションの基本かもしれませんね。他者にはいつでも、「ちゃんと人として接する」という意味で。